メル・ギブソン監督のハリウッド映画『ハクソー・リッジ』が公開されたことで、2017年、あらためて注目されることになった沖縄戦。宜野湾市には、平和学習として多くの修学旅行生たちが訪れる嘉数展望台があります。
嘉数展望台とは
嘉数展望台は、嘉数高台公園内に設置された展望台です。
この嘉数展望台は、日米両軍が激戦を繰り広げた「嘉数の戦闘」において、最前線の陣地が敷かれた嘉数高台に建っています。嘉数高台は、沖縄戦において日米両軍に甚大な被害をもたらした激戦地でもあります。
普天間飛行場を一望できる嘉数展望台
嘉数展望台は、見晴らしのよい高台に設置された展望台です。展望台の最も高い場所からは、世界で最も危険な飛行場といわれている普天間飛行場を見ることが出来ます。
こうして普天間飛行場を見てみると、基地のすぐ近くにまで住宅が密集しているのがわかります。
そしてこの場所からでも、フェンスを挟んだすぐ向こう側に、未亡人製造機」といわれるオスプレイが民家のすぐ近くに設置される様子を見ることが出来ます。
これが、今の宜野湾市の現実です。
羽衣伝説が残る街・宜野湾
普天間飛行場の存在などによって、どうしても基地の街としての印象が強い宜野湾市ですが、もともとは天女が降り立った地といわれるほど、自然豊かな街。
そのため、こんな羽衣伝説が残っています。
宜野湾市の羽衣伝説
むかし、識名村(現在の宜野湾市)というところに、働き者の百姓の男がいました。男は、畑仕事が終わると、森の川で、その日に使ったクワやスキなどを洗って帰るのが日課でした。
ある日、いつものように森の川に出かけた男は、池のそばの木に、見たこともない美しい着物が枝にかけられているのを見つけます。男は、その着物を持ち帰り、家宝として、家の高倉の中で保管することにします。
改めて池に戻った男は、美しい天女が池で水浴びをしているのに気が付きます。天女は、着物を失くしてしまい、とても困った様子でした。
そこで男は、天女を家に連れ帰り、着物を貸し与え、家で住まわせることにします。いつしかこの二人は夫婦となり、女の子と男の子を授かります。
子守りの最中に見つかった天女の着物
男と天女の間に授かった2人の子どもは、すくすくと成長します。ある日、弟の子守りをしていた姉の子どもが、あまりにも泣き止まない弟のために、こんな子守唄を歌って聞かせます。
「そんなに泣くなら、高倉の中にあるとび衣は着せてやらないよ」
この子守唄を偶然聞いてしまった天女は、いてもたってもいられなくなり、男の高倉に飛び込みます。すると、探していた天女の着物がそこに…!
天女は、子供たちの姿に心を痛めますが、そのままその着物をまとい、天へと帰ってしまいました。
残された男の子のその後
母である天女と分かれる原因を作ってしまった男の子ですが、その後、琉球王国の基礎をつくった察度王となったといわれています。
察度王の幼少期は、非常に貧しい暮らしをしていたといわれていますが、勝連按司の娘と結婚することによって、その後、30歳で王位につき、琉球王国の基礎を築きます。
このように宜野湾市とは、沖縄の歴史から見れば、450年続く琉球王国の創成期を支えた重要な拠点であったというわけなのです。
天女伝説が残る森川公園
森川公園には、宜野湾市に伝わる羽衣伝説とかかわりのある伊江一族ゆかりの石碑「西森碑」と泉があります。
公園内には、霊域とされる森が存在し、不思議な大穴や、ユタの修行場があるといわれています。
森川公園- 住所:沖縄県宜野湾市真志喜1-24-1
- 見学時間:10:00~17:00
- 入場料:無料
- 駐車場:あり
沖縄戦の拠点となった嘉数高台
かつては、琉球王国を築く上で重要な拠点であった嘉数地域ですが、沖縄戦においては、日米両軍の陣地が置かれる、軍事的に重要な拠点となります。
そんな嘉数高台に整備された嘉数公園には、沖縄戦において嘉数高台が果たしたある役割を知る戦跡があります。
それが、トーチカです。
トーチカの語源は、ロシアにあります。
トーチカは、「点」や「拠点」を意味するロシアの軍事用語で、戦地においては、防御の中心となる陣地のことを意味します。
このトーチカは、宜野湾市周辺を見渡すことが出来る嘉数高台にも設置されました。
嘉数高台に設置されたトーチカは、鉄筋コンクリート製で、外側には、無数の弾痕があります。激しい攻撃を受けたトーチカの表側は、徹底的に破壊され、内部の鉄筋がむき出しになるほどでした。
嘉数高台での戦いが、いかに激しいものであったかを知るには、中に入るために作られた入り口側と見比べてみるとよくわかります。
こちらが、トーチカの裏面です。
裏面には、人が1人通るのがやっとの小さな入口があります。入口から中を覗いてみると、コンクリートで作られた分厚い壁の一部を見ることが出来ます。
写真を見てみると、トーチカの裏面は、表側の面とは異なり、比較的弾痕も少ないのがわかります。
トーチカの内部は、大人3人が身をひそめることが出来るようになっており、ここから日本軍は、必死の攻防戦を繰り広げました。
嘉数の戦闘における被害に対して、米軍戦史では、「嘉数地区で米軍が失った戦車22台というのは、沖縄の位置戦闘での損害としては最大のものであった」と記録しています。
嘉数高台公園の慰霊碑
嘉数高台公園には、嘉数の戦闘において命を奪われた多くの人々の魂を慰霊するために、複数の慰霊碑が建立されています。
京都の塔
京都出身の2,530名余の将兵と地域民間人の御霊を慰霊するために、京都市民によって昭和39年に建立された慰霊碑です。
嘉数の塔
京都の塔と同じく核に建立された慰霊碑です。沖縄戦で失われた多くの人々の魂を慰霊するために、嘉数の住民たちの手によって建てられました。
青丘の塔
「青丘」とは、朝鮮半島のことを言います。そのため、青丘の塔は、沖縄戦において犠牲となった韓国人・朝鮮人の御霊を慰霊するために建立されました。
嘉数高台公園嘉数高台公園では、普天間飛行場を見ることが出来る嘉数展望台のほか、トーチカや慰霊碑を見学することが出来ます。
- 住所:沖縄県宜野湾市嘉数1-5
- 電話:098-897-2751
- 見学時間:設定なし(見学自由)
- 駐車場:あり