かつて沖縄には「ケイビン」と呼ばれ人々に親しまれた鉄道がありました。沖縄戦によってそれらの痕跡がことごとく破壊されました。でも軽便鉄道のことを知る貴重な資料を集めた資料館が与那原町にあります。
かつての軽便鉄道与那原駅舎は復元され資料館になっていた
電車がないために人々の主な移動手段が車に限定されている沖縄。でもそんな沖縄にかつて本島全域を網羅する鉄道があったということは、沖縄県民も含めどれくらいの人が知っているでしょうか?
確かに私の周りにいる友人に聞いてみても「沖縄に電車?それってモノレールのこと?」と答える人の方が圧倒的に多いです。ところが70歳以上の地元住民に同じ質問をしてみると「ああ、ケイビンのことね」と答えます。
実はこの「ケイビン」と呼ばれているのが、かつて沖縄本島内に走っていた鉄道「軽便鉄道」のことなのです。
そもそも軽便鉄道は全部で3路線ありました。一つは那覇駅から嘉手納駅までを繋ぐ「嘉手納線」。嘉手納線は全長約23.6㎞で、「那覇駅」「古波蔵駅」「安里駅」「城間駅」「大山駅」桑江駅」「嘉手納駅」の7つの有人停車場のほかに5つの無人停車場と4つの停留所がありました。
次が那覇駅から糸満駅までを結ぶ全長約18.3㎞の「糸満線」。こちらも「那覇駅」「古波蔵駅」「国場駅」「稲嶺駅」「東風平駅」「高嶺駅」「糸満駅」の7つの有人停車場のほかに、3つの無人停車場と4つの停留所がありました。
最後が軽便鉄道与那原駅資料館のある与那原町がメインとなる「与那原線」。与那原線の全長は3路線の中で最も短い9.4㎞ですが、「那覇駅」「古波蔵駅」「国場駅」「与那原駅」の4つの有人停車場のほかに1つの無人停車場と4つの停留所がありました。
かつての与那原町はとても栄えた街だった
与那原駅舎展示資料館は、かつて与那原駅があった場所に復元された建物です。建物の入り口に立ち目の前に目を向けると、住宅やアパートが密集しているもののどちらかというとちょっとさびれた感じがします。でもかつて軽便鉄道が走っていた頃のこの景色は、今とは全く違った風景だったといいます。
そもそも軽便鉄道の各路線にある「有人駅」というのは、沖縄軌道路線の駅でもありました。沖縄軌道路線というのは当時の主要産業であったサトウキビなどの運搬などに使われた貨物専用の馬力車の路線のことで、与那原駅から沖縄本島中部にある泡瀬駅までの全長約17.68㎞にも及んでいました。
つまり有人駅である与那原駅は当時の物流の主要拠点であり、荷物の積み降しなどのために貨車が長時間停車することが出来る大きな駅でもあったのです。しかも与那原駅のすぐ近くには海もあり、陸路・海路の物流拠点でもありました。
物が集まる場所には、必ず人も集まります。だから与那原駅の周辺には料亭街があり、この地を訪れる人々の宿泊施設もたくさんあったといいます。
現在その場所を訪れてもその名残が感じられるものはほとんど残っていません。そしてかつて与那原駅舎があった周辺が現在の那覇市の繁華街のように活気あふれる場所であったことを知る地元の人よりも「さびれた田舎の街」という記憶しかない地元の人の方が増えています。
あの昭和天皇も皇太子時代に与那原駅からケイビンに乗っていた
資料館の敷地内には「東宮殿下御乗車記念碑」が建立されています。東宮殿下とは、のちの昭和天皇のこと。昭和天皇が沖縄を訪問したのは1度きりですが、その貴重な沖縄訪問の際に立ち寄ったのが現在の与那原駅舎資料館周辺。
記録によると与那原の浜から上陸した東宮殿下は、徒歩で与那原の街を歩いて回り与那原駅からケイビンに乗って那覇駅まで移動したといいます。ちなみにこのとき東宮殿下が徒歩で立ち寄られた場所の一つが現在のえびす通り付近。
昔ながらの店などが今も残るえびす通り周辺をかつてのちの昭和天皇が歩いていたかと思うと、これまでの「ちょっとさびれた街・与那原」というイメージとはひと味違う与那原の風景があなたの頭に浮かんでくるのではないでしょうか?
与那原駅舎は沖縄戦の激しい戦闘にも持ちこたえた奇跡の建物だった
初代の軽便鉄道与那原駅舎は木造の駅舎でした。その後1931年に二代目となる駅舎が誕生します。この時の駅舎は鉄筋コンクリートの駅舎です。那覇駅も含め多くの有人駅があった県営鉄道の中で二代目の与那原駅舎は唯一の鉄筋コンクリート建物でした。
そんな二代目与那原駅舎も沖縄戦で甚大な被害を受けます。ただあたり一面焼け野原となった与那原の地において、二代目与那原駅舎は奇跡的に崩壊を免れます。とはいえそのままでは使い続けることはできないため、残った柱と壁は生かし改修することにします。
残念ながら戦後の沖縄では軽便鉄道が復活することはありませんでした。そのため奇跡的に残った二代目与那原駅舎は、その後与那原町役場として使われることになります。1975年に役場が移転するとさらにJAの与那原支店として再利用されます。
その後JA与那原支店も移転し、改めて駅舎を復元する動きが生まれ老朽化した建物は取り壊しされます。ただ取り壊しをする際にも戦火を免れ奇跡的に残った鉄筋コンクリートの柱はそのまま残されました。
ただこの駅舎復元にまつわる話を知る別の地元の人に聞いてみると、この奇跡のコンクリート柱も取り壊してしまおうという話が持ち上がったことがあるのだとか…。
沖縄県内にはたくさんの戦跡があります。そうした場所には、常に悲惨な記憶・歴史があります。でも与那原駅舎の9本の柱は、あの戦争を生き抜いた奇跡です。人々の未来と期待が込められた大切な柱です。
平和な街の中に何事もなかったように立ち並ぶ9本のコンクリート製の柱。いつかはこの柱たちも時代とともに朽ち果てていくかもしれません。それでも100年近く同じ場所で存在し続ける与那原駅舎の柱たちは、これからの若い世代が明るい未来・自分の目線で平和を考える貴重な場になるに違いありません。
与那原駅舎展示資料館は電車好き以外にもいってほしいおすすめの場所
この場所を訪れる人は、そう多くはいないのかもしれません。でもこの資料館にある与那原の今と昔を知る写真たちを見れば、駅舎の入り口に立って見える景色にも違いが出て来るはずです。
全国各地の鉄道マニアの人がはるばる沖縄に来てこの場所を訪れるという軽便鉄道与那原駅舎。そんなステキな場所が那覇からわずか30分の場所にあります。たまにはあなたも与那原駅舎に足を運んでみませんか?浦添市まで延長する新しい沖縄の鉄道・ゆいレールでは味わえない「歴史」というスパイスがなんとも新鮮なスポットですよ!
与那原町立 軽便与那原駅舎展示資料館- 住所:〒901-1303 沖縄県島尻郡 与那原与那原3148-1
- 電話;098-835-8888
- オープン:10:00~18:00
- 休館日:毎週火曜日、年末年始
注意:案内看板からでは場所が分かりにくいです。与那原警察署がある交差点から山が見える方向に信号を曲がったら、一つ目の路地を左折すると右手側にすぐに見えてきます。えびす通りの延長線上にもあるので、迷いそうになった場合はえびす通りを目印に探すと探しやすいです。