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謎多き不思議な「新城島」

今回は、謎の多い「新城島」(あらぐすくじま)についてお書きします。秘密を知ったら、ただでは戻れない。撮影禁止、入ることも許されないとある神社。島民以外は参加することが許されない謎の秘祭などなど……です。

タブーの多い「新城島」

新城島

沖縄本島から飛行機を乗り継いで、南西に400キロ。そこには、石垣島を中心とする八重山諸島の島々が点在しています。その中に、新城島があります。新城島は、西表島の南東約7km、石垣島の南西約23kmの石西礁湖に位置しています。

新城島は、上地島(かみじしま)と下地島(しもじしま)に分かれており、この2つを合わせて新城島と呼んでいます。ここは、全体で1.58km²という小さな島。そしてこの島(とくに上地島)には、数々のタブーが存在しているのです。

新城島には、金融機関や郵便局・商店・公衆電話・公衆トイレ・警察署・駐在所・消防署・診療所・信号はありません。前回、記事にした大神島と少しテイストが似ていますが(大神島には、公衆トイレと民宿・食堂はありました)、ほかにも沖縄にはこんな不思議な離島があるんだ……ということをお伝えしていきます。

立ち入り禁止の「人魚神社」

新城島には、立ち入り禁止の場所が多数存在します。その中でも代表的なのは、「人魚神社」(東(あーりい)御嶽)。

普通、鳥居には神社の名前が掲げられているものですが、この神社の鳥居には名前が書かれていません。あたかも無縁のものは参拝するべからず……と、無言のうちに拒絶しているかのようです。

鳥居の手前には「島の住民以外立ち入り禁止および写真撮影禁止」と書かれており、いかなる理由があっても鳥居の先へは立ち入ることができないのです。この神社に踏み入れた者は体調不良に苦しみ、死に至る者もいる……と言われているのです。

その昔、海の男たちはこの島の近海でジュゴンを捕獲し、その肉を干して乾燥させ、琉球王府への献上品としていました。男たちはこの「人魚神社」にお参りをしてから出漁していたといいます。島民にとって「人魚神社」は聖地であり、地元の人々はここを「イショー御嶽」(「海の聖地」の意味)と呼んでいるのです。

鳥居から数十メートル先には、白塗りのアーチ型をした門のようなものが存在します。その門には、真っ赤な月と太陽が描かれています。この門をくぐりぬけると、屋根を乗せただけの戸もなにもない拝殿があり、そこには黒くなったサンゴが塚のように積んであります。高さは1メートル20センチくらい。その頂上には、ジュゴンの骨が数本置かれています。それはとても不気味な光景だといいます……。

島民でさえ、祭礼の時に限られた者しか入ることを許されません。鳥居の奥に何があるか、中で何が行われるのか、決して語ってはならないのです。

なお、現在では沖縄本島近海以外ではジュゴンは絶滅したと考えられていますが、新城島近海での目撃例もあります。2010年度の調査で、西表島との間の海峡でジュゴンの目撃情報が報告されています。

よそ者は見てはならない「秘祭」

新城島では年に1度、秘祭を行なっています。この秘祭は、旧暦の6月(現在の7月中旬)に行われる豊年祭です。祭といっても、神輿をかつぐ本土の祭とは全く違います。この島で行なわれる祭りは、おどろおどろしい形相で2メートル以上も背丈がある仮面神「アカマタ・クロマタ」が現れて豊作を捧げるという、島を興奮と怒涛のるつぼに引き込む古代祭なのです。

この豊年祭は、秘守性が高いのです。この祭りに参加できるのは島の出身者と、それに近しい関係者だけで、一般の観光客はたとえ島の桟橋に到着したとしても、非情にもそこから追い出されてしまうそうです。完全に外部をシャットアウトして行なう秘祭りなのです。

以前、新城島の豊祭を取材するためにやってきたテレビ局のレポーターとカメラマンが、チャーター船で上陸しようとしたところ、島の青年とおぼしき男たちにその取材道具をすべて海に投げ捨てられたという出来事があったそうです。

カメラと音声レコーダーの持ち込みは許されず、それを預けるように言われたのを拒否したために、このような事件が起こったのです。写真はもちろん、メモをとることも携帯電話も(メモ機能、写真)ももちろんNG。言う事を聞かないと、袋叩きに遭うなど……は毎年起きていることなのだそうです。

祭の秘密を深追いして命を落とした人もいます。カメラを持って島へ入った男が不自然な水死事故に遭ったり、祭りの当日に島民といさかいを起こしたよそ者がその後行方不明になってしまったりと、この秘祭を知ろうとすればするほど、命を奪われる危険性は高まるのです。

人口はたった10人未満

現在、下地島は放牧地になっている無人島で、人が常時住んでいるのは上地島だけ。その上地島もひっそりとしており、住人に出くわすことはほとんどありません。

それもそのはず、2016年3月31日時点で住民登録(住民基本台帳の基礎となる)上では上地島13人・下地島2人ですが、住所を新城島に置いていても、実際には石垣島や西表島にも家があり、新城島との間を行き来している人が多いからです。

下地島に滞在しているのは、牧場の管理人のみです。そのため、常時島に定住しているのは10人未満とされています。

下地島では1954年に「大原小中学校下地分校」が廃校となり、1955年頃から西表島や石垣島への転出が増加しました。下地島は1963年12月に廃村となっています。上地島では、1963年に「上地中学校」が「大原中学校」(西表島)に統合された頃から、子どもの中学進学とともに島民が一家で島を離れるようになり、1975年には、過疎化のため上地小学校は廃校となりました。

戦前までは400人を超えていたという村民もいまでは激減し、定期便さえも行き交わない島になっています。そのため、新城島へ上陸するには、船をチャーターするなどしか方法はありません。

なお、「新城島観光」や「パナリ島観光」などが、自社船舶や安栄観光の船舶による石垣島等からのツアーを催行していて、西表島からシーカヤックでのツアー等も行われています。上地島・下地島の間の海では多くのクマノミを見ることができるため、シュノーケルポイントになっています。

なお、2005年3月に、西表島からのシーカヤックツアーの帰路でガイドを含め3人が死亡する事故が発生しており、2009年にはシュノーケリング中の死亡事故も発生しています。これが新城島の、ミステリーの部分と関わっているかどうかは、知る由もないですが……

住民はこれだけ少なく、なかなか上陸も簡単ではない島ですが、先にお書きした「秘祭」のときは、元住民の300人以上が戻って来るというから驚きです。

新城島に潜入!

実は……

前回の大神島の記事で、私の担当テレビ番組で大神島に初潜入した……と書きましたが、それより約10ヶ月前の2010年2月、この新城島に取材交渉しました。テーマは「立ち入り禁止ゾーン潜入スペシャル」です。

実はそれより4年前の2006年から、新城島に取材交渉をしていましたがなかなかうまくいかず、4年の月日を経て、とうとう新城島の取材の許可が下りたのです。

4年がかりで、やっと取材できた新城島。大神島と同様、「決して入っては行けない場所があるため、その場所に入らないなら……」という条件つきでした。

ただ、大神島のときは私自身が取材交渉しましたが、新城島のときはディレクターが取材交渉したため、残念ながら大神島のときのような取材交渉に関するエピソードがありません。

また大神島にはその後、観光で私自身も行きましたが、新城島には行ったことがありません。理由は、定期便が出ていないので敷居が高いこと、そして私は怖がりなので、なんとなく大神島より新城島のほうに怖さを感じ、腰がひけているのです。

新城島に上陸したこともなければ、島じゅう撮影禁止の場所ばかりということで、今回は写真がほとんどありませんが、お許しください。

ミステリーに満ち溢れている新城島へ、勇気のある方、機会があればぜひ行ってみてはいかがでしょうか。お読みいただきありがとうございました。

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